「必要とされたい」

 

そんなチープな言葉がこの世に蔓延している。

 

わたしもこの言葉に毒され、苦しむひとりである。

 

友達は少ない。家族とも気が合わない。

こんなわたしが生きる意味はあるのか?

これから生きていて幸せに感じることはあるのか?

 

そんなことばかりが頭を巡り、うなされて眠れない夜を何度とやり過ごし、気がつけば精神科病院の待合室に座っていた。

 

その空間は想像していた何倍も無機質で、いい歳をしたおばさん医師の診察はたまらなく機械的だった。

「死にたいと思ったことある?」

「...あります」

 

「いつから?」

「...中学生の頃からです」

 

「それはまずいね。早く治さないと。

 薬出すからちゃんと飲んでね。」

 

そんな渇いたやりとりの後、あやしげな薬をわたされて3000円ほど支払い

また孤独な空のもとに解き放たれてしまった。

 

こんな小さな錠剤で死にたい気持ちがなくなるのか、

にわかには信じられなかったが

そのときのわたしにはそれを頼るほかに、これからの活力を見出す術はなかったのだ。

 

そうして数週間がたち、わたしは仕事を始めた。

もう薬はいらなくなっていたし、医者に通うのも勝手にやめた。

 

 

病んでる時期は異常だ。鬱になるわたしはどうしようもなく弱いんだ。

 

何度もそうやって自分を責めた。

壊れゆく心を自分の手でさらに八つ裂きにするかのように。

 

消えられたらどんなに楽か。

死にたい時だけは母がかまってくれる。愛ある言葉をかけてくれる。

 

頑張らなくてもいいんだ。立ち止まってもわたしはわたしでいられるんだ。

そんなことを理解するのにどれだけの年月を要したのかわからない。

 

また性懲りも無くこんなつかみどころのない思考のループに陥るかもしれない

 

でもそんな時に手を差し伸べてくれるのは、友人でも恋人でもなく

小さな白い薬と自分の心だけなんだ。