東南アジアという知らない世界に飛び出すことで見えたもの

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私は今年の春にフィリピンでの海外ボランティアに参加しました。

 

心配性な親にはもちろん大反対されました。

 

しかし自分が得られるかもしれないものとリスクを秤にかけるといかないという選択肢は自然になくなっていました。

 

もちろん海外での長期的な滞在に不安はあったし、生活環境は決して良くありませんでした。

 

それでもメンバーに恵まれボランティア先の学校の生徒や先生に恵まれ

とてもいい経験ができました。

 

大学生が海外ボランティアをするというのは今では決してめずらしいことではありません。

しかしそのなかで何を得るのかは本当に人それぞれだと思います。

 

私はフィリピンのゆったりとした時間の中で当たり前というものについて考えていました。

物事を経験するとき人は自分の尺度でその物事をはかります。

 

その結果さまざまな感情がもたらされます。

楽しい、退屈だ、つらい、悔しい、嬉しい  etc...

 

この尺度こそが自分を自分足らしめているものであり、「当たり前」を定義しているものなのです。

 

異国の人と深く交流するうえでこれには国の違い、環境の違いが大きく反映されているなと感じました。

 

尺度を広げることが必ずしも大切なわけではありませんが自らを高めるための近道になる、と私は考えます。